3月4日の記事「非英語圏の契約当事者と英文契約書」では、契約当事者間(具体的には、日本企業と海外企業)で2つの異なる言語により同じ内容を契約書として起こすケースを取り上げました。そういったケースにおいては、時に思わぬ落とし穴に遭遇することがあります。実際に起こり得る事例を紹介します。
日本企業(A社)がその取引先となる海外の企業(B社)とビジネスの契約を締結するなかで、契約書を日本語およびB社がある国の言語の両言語で作成するケースを取り上げてみます。(以下は一例にすぎず、契約締結に至るプロセスとしては他にもいろいろなかたちがあるでしょう)
A、B両社は先ず日本語で作成した契約書で大筋合意に至り、その後B社がその日本語の契約書を自国の言語に翻訳することになったとします。当然A社としては、B社によって訳された別言語の契約書がオリジナルの日本語版に忠実に訳されたものであるか確認する必要に迫られます。ここでもし、B社側の言語が英語以外でA社(日本側)にとって理解不能である場合、A社がとり得る対策としては、B社が訳した契約書を日本語に翻訳し直し、それをオリジナルの日本語版と照合させ整合性を確認するということが考えられます。
そうした手順を踏む際には注意すべき点があります。それは、B社が自国の言語に訳した契約書の完成度です。せっかくオリジナルの日本語版が契約書のドラフトとしてきちんと仕上がっていても、もしB社による翻訳が「素人の翻訳」になってしまっていては、その後のA、B社間の契約調印に向けた作業に多大な支障を来してしまうことになります。後に契約紛争の種を抱え込んでしまうことは明白でしょう。特に近年経済成長が著しい国にある法人との契約においては、相手側の契約(書)に対する意識が十分でないことがあります。本記事の例においては、B社が日本語から自国の言語への翻訳を多少日本語がわかる社内の人間にやらせてしまうといったような安易さが一例です。
そうして契約書の翻訳を任される担当者の能力に問題がある(例えば、契約書というものを自国の言葉でもあまり見る機会がない、契約書の翻訳経験がほとんどない、日本語版原本の具体的内容が十分に理解できていない、あるいは契約書を手掛けるだけの日本語の能力が十分でないにも関わらず無理して何とか自国の言葉に起こしたような文章を作ってしまう、など)にも関わらず、ある程度言語(日本語)運用能力があるという理由だけで安易に契約書を翻訳させてしまう会社は残念ながら現に存在します。その結果、文章が稚拙で用語の使い方が適切でなく、厳密さにも欠け文体が法務文書に相応しくない・・・ など全体的に契約書として使用不可能なものが出来上がってしまいます。
上記の例において、もしA社がB社からそのような素人の翻訳を渡されたとしたらどうでしょう。先述のとおり、A社はB社が翻訳したものを日本語へ訳し直し、オリジナルの日本語版との整合性をとろうとしますが、B社が訳した素人の契約文書からまともに和訳が行えるはずがありません。もちろん、そのままB社の文書を元に契約交渉を進めるのは非常に危険です。そこでA社がとるべき方策としては、B社に対し契約専門家による再翻訳を依頼するか、(それが望めそうになければ)A社でB社側の言語で再度翻訳を行いB社に内容を確認させるといったことになるかと思います。つまり、想定外の余分な労力や時間が費やされることになるのです。
以上のようなケースの場合、文書のやりとりだけで事を進めていくのは危険です。理想的には契約調印の際に、契約や法律分野に通じた通訳者を両当事者の交渉の場に同席させた上で、一つひとつの事項について細かく再確認を行い、必要に応じてその場で契約内容を修正するといった作業が望まれるでしょう。そうしたプロセスを経た上で調印することで、後々の紛争の火種を抱えなくて済むことになります。日本企業が海外(特に経済発展途上にある国)の法人と契約を結ぶ時に、避けて通れないポイントと言えるでしょう。契約書翻訳に関し、時として陥りやすい落とし穴でもあります。
