たかが翻訳、されど翻訳

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本記事「たかが翻訳、されど翻訳」では、私が手掛けている翻訳事業の日々の業務のなかで感じていることを紹介します。


『翻訳』という言葉を連想した時、その世界にあまり馴染みのない人にとっては「外国語⇒母国語」より「母国語⇒外国語」への作業の方が難しいと感じられるかもしれません。実際に翻訳会社のなかには、日本語への翻訳(和訳)に比べ例えば英訳の料金の方を多少割高に設定しているところもあるように感じられます。


しかし、母国語への翻訳(ここでは当然日本語なので和訳です)は実は悩ましくもあり、また心して取り組まなければならないものであると思っています。翻訳を行う際、原文を正確に解釈することや専門用語をしっかりカバーすることといったクリアすべき最低条件はプロの翻訳者なら誰でも意識していることでしょう。ところが、翻訳者によって仕上げられた訳文の完成度という意味では非常にばらつきがあるのが実情です。特に和訳の場合、訳文が母国語となるため、クライアントの評価はおのずとシビアになってきます。私が経営するループ・インタープリターズ株式会社では、翻訳の成果物としての日本語について、自国の言葉であるからこその慎重さを忘れず日々の業務にあたっており、納品するものが第三者(第一にクライアント)が読むに堪え得るものであるかどうかを常に意識しています。そこには日本語としての響きや文章のリズム感といった部分も含まれ、ある意味では翻訳の域を越えた部分かもしれません。


以下は、都内にある超高級ホテル「コンラッド東京」のホテル案内に記載されている総支配人の挨拶文(日・英併記)です。ある程度格式のあるホテルであればどこでも目にするような文面です。コンラッド東京は近年都内でオープンした外資系ホテルの一つで、不況の荒波に日本上陸を果たし、最高級のサービスを提供することで収益を図っています。こうした超一流のサービスを誇るホテルでどんな文章表現が用いられているかを知ることは、我々のような言葉を商売道具にする側にとっては参考に値します。


先ずは文面を御覧下さい。(ここではあえて各文を日・英表記にしています)


「このたびは、コンラッド東京にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。」
"I'm delighted to welcome you to Tokyo and the Conrad."


「和のモダンデザインとモダンラグジュアリーが融合するコンラッド東京では、お客様に真のやすらぎをご体験いただけることと自負しております。」
"At Conrad Tokyo, we combine world-class modern luxury with Japanese design elements and a strong sense of place to create a truly calming and inspirational atomosphere for your enjoyment."


「コンラッド東京のおもてなしの信条『サイレントシンフォニー』は、まるで交響楽団が静かに音楽を奏でるかの如く、チーム一丸のもと、優雅で途切れることのない、さりげないサービスを目標としております。」
"Our service Credo 'The Silent Symphony' aims to deliver elegant and pleasurable service --- un-intrusive but always calmingly around you --- as a result of a rehearsed and professional team effort."


「お客様に、コンラッド東京でのご滞在を心よりご満喫いただけますよう、チーム一同精一杯のおもてなしに努めさせていただきます。」
"On behalf of the team of Conrad Tokyo, I wish you an inspiring and very enjoyable stay."


いかがでしょうか。
全体的に、日・英の文章が逐語訳的に対応していないことがわかります。察するに原文は日本語で、英語の方はそれを元に翻訳されたものであると思われます。それを前提とすれば、上記の英語文章は日本語原文のアイデアを英語の語感に照らして上手くアウトプットされたものであると言えるでしょう。超高級ホテルの宿泊者へのメッセージという意味では、感性に訴えかけるような表現が求められます。シンプルかつインパクトのある表現としてこのような英文になったのかもしれません。


ここで「和文」という視点で、同ホテルのHPからある文章を抜粋します。以下は、上記3つ目の文にある『サイレントシンフォニー』、つまり同ホテルの命とも言える「おもてなしの信条」について説明している文面です。これが少々問題ありと思われます。


「まるで交響楽団が静かに音楽を奏でるように、私たちは丁寧なリハーサルを重ねて築き上げた、卓越したチームワークのもと、優雅で落ち着きのある、それでいて押し付けがましくなることのないサービスで皆様をお迎えいたします。コンラッド東京のおもてなし、それは、途切れ目のないハーモニーのようなサービスを、皆様に一貫してご提供することを意味します。」


この文章がどうような過程を経て作成されたのかは定かではありませんが、日本語の響きとして幾分疑問を抱いてしまいます。超高級のサービスを自負する同ホテルの公式HPに掲載する文面としてはお粗末であると言わざるを得ません。つまり、一つの文のなかにいくつものアイデアが詰め込まれているが故に、一流ホテルらしい洗練された文章に程遠く、言わんとすることがよく伝わってきません。実は、冒頭で述べた和訳(日本語)における慎重さとは、この例にあるような文をいかに無くすかということにも通じます。


翻訳能力という意味では、こうした要素は翻訳者の言葉への感性に依る部分が大きく、指摘されてすぐに変わるものではありません。残念ながら、言葉のプロである翻訳者といえども母国語である日本語をきちんと表現できていないことが少なからずあります。これは、「コロケーション(collocation:文・句における語のつながり方)」の問題です。このコロケーション、つまり言葉に対する感性は、一朝一夕に培われるものではありません。逆に言えば、この素養がしっかりしていれば翻訳の成果物が単なる訳文を越えた一つの『作品』となるのです。


私は通訳・翻訳の会社を経営するうえで、以上のようなこだわりや緻密さが無ければクライアントからの信頼や感動は得られないと肝に銘じています。現に、わが社の翻訳の質に感動され、それまでの取引先からわが社に変えてくださったクライアント企業が1社や2社ではありません。それに甘んじず、今後も「言葉への追及」を続けていきます。

 

 

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このページは、Ted Matsuuraが2009年4月10日 17:47に書いたブログ記事です。

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