翻訳という作品に思うこと

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スタジオジブリの宮崎駿氏と言えば、今や世界的に有名な日本が誇るアニメーション作家です。同氏は制作のなかで、アニメーター達が分担作業で仕上げた一枚一枚の絵をチェックするという気の遠くなるような作業を一人で行っています。どんなに忙しくても、これを人に任せることはないそうです。そこには一つ一つの絵に魂を吹き込んでいくという過程における宮崎駿氏ならではの感性が存在するのでしょう。その感性が多くの人々の感動を生む作品の源泉となっていることは間違いありません。別の言い方をすれば、同氏には他の人にはマネのできない、宮崎ワールドを支える何かが宿っているということです。

 

宮崎駿氏_1.jpg 宮崎駿氏_2.jpg

 

制作物の仕上げ段階で決して妥協を許さない宮崎駿氏の姿勢は、私が経営するループ・インタープリターズ株式会社(以下、ループ)にも共通するところがあります。ループの事業の一つである翻訳業務では、仕上がった翻訳文に対して必ず最終チェックが入りますが、そこではきめ細かい作業を行っています。結構手間のかかる作業ですが、この過程を抜きにループ・インタープリターズが掲げる「高品質の保証」は成し得ません。翻訳者から仕上がってきた成果物は、時として納期との兼ね合いや翻訳者自身の言葉への感性の程度などによって、品質レベルが不十分と感じられることが少なくありません。それをクライアントが満足するレベルに上げていく必要があります。逆に言えば、この作業が翻訳の品質レベルという点で差別化要因になっているとも言えます。


非常に高い能力を有するあるフリーランス翻訳者から、「ループさんほどしっかりチェックを入れている翻訳会社はなかなかないと思う」と言われることがあります。優秀な翻訳者を抱えることが欠かせないのは言うまでもありませんが、それと同等に(あるいはそれ以上に)最終仕上げの段階で翻訳の質や精度をいかにより高めていけるか、この点も非常に重要であるとループでは捉えています。


翻訳者がある程度優秀であれば、例えば仕上がった翻訳草稿をそのままクライアントに納品することも可能かもしれませんが、そうして納品されたものには一つの作品としての完成度にどこか疑問が残ります。冒頭の宮崎氏の話同様、翻訳に関してもそこに一つの作品性が感じられなければクライアントの感動(=高い評価)は得られません。


最近も、ある翻訳案件でクライアント(お得意様である弁護士の方)から 「日本語の趣旨をかなり的確に把握していただいた上、文言の選択等も常に的確で、とても助かりました。」 という大変ありがたいコメントをいただきました。このような実績を生みだすためには、第一に優秀な翻訳者によるプロたる仕事が欠かせませんが、一方でその成果物により一層の価値を吹き込んでいくようなきめ細かいチェック作業も求められるのです。たとえ納期設定が厳しい状況でも、そうした姿勢を崩してはならないと常に肝に銘じています。

 

ループは今の経済不況にあっても、さまざまなクライアントからお仕事をいただいています。その背景には、自らが納得できるものをお客様に提供していくという方針を崩さずにきたことが大きな要因としてあると思っています。ループ・インタープリターズは、今後も「言葉への飽くなき挑戦」を続けていくことで、より多くのクライアントから感動と信頼を得られるよう努力していく所存です。


 

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このページは、Ted Matsuuraが2009年1月20日 12:45に書いたブログ記事です。

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